テーマは、情報化時代の生き方を提言するもので、「仕組み」進化論からの続編になると思う。産業革命はプロテスタントと植民地支配を生み出した。エネルギー革命は、資本主義とテロリズムを生み出した。そして誰も体験した事の無い世界において、情報化時代に相応しい新しい思想をぶつける試みだ。
まずは、部分的に、これはうまく行くかどうか疑問に感じた点から、挙げてみたい。
1.相続税で全員を賄えるのか?年金と社会相続税の関係がちょうど対極にあるように、若者の人口比率が増えればベーシック・インカムの額が目減りするという点にある。今は最良の時期かもしれないが、ここ数十年で破綻する可能性が高いのではないか?
2.死んで残される資産のうち、不動産による資産は8割が無価値に近くなり、ベーシック・インカムの財源にはならないのではないか? バブル期でもあるまいし、買い手のいない土地は売れない限り財源にはならない。
3.農業は土づくりが基本であり、まじめに農業をしている人から見れば、まともな土地になるまで最低5年、世代を越えて土づくりを考えるぐらいの執着があるのではないか?こういう土地を相続税で、いちいち取り上げられていては、たまったものではありません。都会の土地感覚とは同列には扱えない気がした。
4.担い手のいなくなる仕事が発生するのではないか?世の中には、きつい・きたない・きけん、いわゆる3Kと呼ばれる仕事もあります。ベーシック・インカムを得た後に、果たして、これらの職に就こうという人がどれだけいるのか?
わからなかった理論が
1.田舎は金持ちの住むところという理論。田中角榮の列島大改造から続く経済様式と、姥捨山に金をという話が、ごっちゃになってないでしょうか?自分の感覚からすると、ストレスを感じるぐらい人が密集している所に住んで、何が楽しいのか?突き詰めていけば、何のために生きているのか?って所に落ち着くのでしょうか?
自分の宗教観は密教によるところが大きいです。しかし、私自身、悟りの世界など存在するとは考えておらず、悟りの世界に到達すれば幸せになれるのかどうか知る由もない。そういう立場でしか考える事ができないので、本書の目指すところは、大変難しいと感じます。スマナサーラ師との対談で、「全員が出家したら誰が托鉢するのか?」という質問をしているが、著者の目指すところは「全員を強制的に出家させる道」であると感じました。対談中、師は「社会で果たさなければならない義務がある者には、出家をさせようとはしない」と、こたえられています。なるほど、社会がベーシック・インフラを用意すれば、全員が悟りを開けるのかもしれません。悟りを開いた人だけで生活が成り立つのか?ここから先は、想像力が勝負です。ロボット三原則のようなクールな思想が必要とされているのでしょうか?
法律家なら、情報革命後に相応しい法律、哲学者なら、情報革命後に相応しい哲学、小説家なら小説…というように、断片を描く事が期待されているのか?本書には、そのようなメッセージが垣間見れます。
最近、国語が苦手で縁遠かった古典を読んだりしています。時を同じくして読んだのが「徒然草」。本書と連動して心に残った部分を引用して終わりとします。参考URL
140段
身死して財殘ることは、智者のせざるところなり。よからぬもの蓄へおきたるも拙く、よきものは、心をとめけむとはかなし〔氣の毒〕。こちたく多かる、まして口惜し。我こそ得めなどいふものどもありて、あとに爭ひたる、樣惡(あ)し〔醜い〕。後には誰にと志すものあらば、生けらむ中にぞ讓るべき。朝夕なくて協(かな)はざらむ物こそあらめ、その外は何も持たでぞあらまほしき。
142段
心なしと見ゆる者も、よき一言はいふ者なり。ある荒夷〔東國邊の荒い田舍武士〕の恐ろしげなるが、傍(かたへ)〔傍の者〕にあひて、「御子はおはすや。」と問ひしに、「一人も持ち侍らず。」と答へしかば、「さては物のあはれ〔人情の機微〕は知り給はじ。情なき御心にぞものし〔こゝでは唯ありませうの意〕給ふらむと、いと恐ろし。子故にこそ、萬の哀れは思ひ知らるれ。」といひたりし、さもありぬべき事なり。恩愛(おんあい)の道ならでは、かゝるものの心に慈悲ありなむや。孝養(けうやう)の心なき者も、子持ちてこそ親の志は思ひ知るなれ。世をすてたる人のよろづにするすみ〔匹如身、人の一物をも手に持たぬを云ふ〕なるが、なべてほだし多かる人の、よろづに諂ひ、望み深きを見て、無下に思ひくたすは、僻事なり。その人の心になりて思へば、まことにかなしからむ〔いとほしい、最愛の〕親のため妻子(つまこ)のためには、恥をも忘れ、盜みをもしつべき事なり。されば盜人を縛(いまし)め、僻事をのみ罪せむよりは、世の人の飢ゑず寒からぬやうに、世をば行はまほしきなり。人恆の産なき時は恆の心なし〔孟子に「無2恆産1而有2恆心1者惟士爲レ能、若レ民則無2恆産1因無2恆心1」とある。恆産は日常の生業、生活す可き職業〕。人窮りて盜みす。世治らずして凍餒(とうだい)〔こゞえる事と饑うる事と〕の苦しみあらば、科(とが)のもの絶ゆべからず。人を苦しめ、法を犯さしめて、それを罪なはむこと、不便のわざなり。さていかゞして人を惠むべきとならば、上の奢り費すところを止め、民を撫で、農を勸めば、下に利あらむこと疑ひあるべからず。衣食世の常なる上に、ひがごとせむ人をぞ、まことの盜人とはいふべき。
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